消費と投資

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ドイツの銀行口座の明細が届く。欧州を引き払う際の入金と出費が、しがないサラリーマンのものとは思えないくらい激しい。これを見てドキッとするのは、消費を悪徳と戒める賃金労働者の倫理が我が身にも息づいている証拠だろう。限られた貯えを使い果たせば、住む場所を失い、飢え死にするのが労働者の定め。落語の「百年目」では、大旦那が番頭に「こんなときに金を使い負けるようでは、商いの切っ尖が鈍って大きな商売はできない」と語る。しかし、わたしは大旦那の助言には従いたくとも従えない。わたしの使う金と大旦那の使う金の違いは那辺にあるのだろう。

以前、酒席でこんな話になった。千葉から東京に出るとき、特急券を買うのは勿体ないと考えるのが労働者で、特急料金を使った分を稼げばよいと考えるのが経営者だ、と。わたしと大旦那の幽明の境はそのあたりにありそうだ。賃金労働者は収入の口も額も限られているから、現在の収入以上の消費を続ければ金もやがて底を突く。従って消費を切り詰める動機が働く。経営者は、己の才覚次第で収入の機会や高を増やせるから、たくさん使うことが翻って自分の稼ぐ能力の誇示にも稼ぐ動機にもなるし、そもそも新たな収益機会の開拓には投資が必要である。

差し当たって決まった給与以外に収入の途のないわたしは、できれば特急料金は切り詰めたい。

ウィーンフィルのニューイヤーコンサート

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折に触れ、頭の中であの時に聴いた曲を連続再生しては、独り悦に入っている。今年2019年の指揮者は、クリスティアンティーレマンであった。ウィーンフィルニューイヤーコンサートと言えば、オーケストラがワルツとマーチを賑やかに奏で、興に乗った客が手を打ち鳴らす、どんちゃん騒ぎを想像していた。しかし、ティーレマンは、そのような華やかな曲の合間に、北海の絵、妖精の踊り、エジプトの踊り、といった繊細な曲を配して、客の注意を音楽の息づかいに集中させる。音楽の息づかいが深くなるのと同期して、客の息もゆったりと盛り上がっては沈む。演奏会の進行に連れ、客の意識はいよいよ研ぎ澄まされ、波長は漸く伸び、振幅も次第に大きくなって、天空の音楽と共に惑星の軌道を巡り出す。これを至福と呼ばずして、何を至福と呼ぶだろう。